こだわりの商品づくり


フリーデン・ストーリー vol.1 ~加工部門誕生から成長への軌跡~

時代を超えて引き継がれる、
「本物のハム・ソーセージを届けたい」という一途な思い。

フリーデンにハム・ソーセージなど加工品の部門が誕生してからおよそ40年。ドイツの伝統的な製法を取り入れながら、日本人に好まれる味わいを追求してきた歴史や商品へのこだわりを、エピソードを交えて紹介します。 話を聞いたのは、藤原正史。1976年に入社後一貫して加工部門に従事し、伊勢原工場2代目工場長を務めた生粋のフリーデンマンです。

藤原正史
伊勢原工場2代目工場長

フリーデンが加工品の取り組みを始めた直後、 1976年4月に入社。 会社の寮の1階にあったハム製造プラントで、加工品製造に携わるようになる。その後一貫して、フリーデンの加工部門に従事し、1987年には伊勢原工場の2代目工場長に就任。歴史を学び、本物のハム・ソーセージを追求し続けた。現在、商品部商品開発課技術指導員。 大切にしていることは「お袋の味」。子供の頃の味の刷り込みと料理のつくり方が商品づくりに生かされている。

腐らないソーセージはおかしい」
社長の一声が立ち上げのきっかけとなった。

腐らないソーセージって!?
戦後の高度成長期から、江戸末期の開国まで、
タイムトリップ!
ソーセージの歴史がひも解かれる〜。

藤原:

日本で元々つくられていたハムやソーセージは、ドイツの製法が主流となっていました。きっかけは明治時代の開国により貿易に携わる外国人が多く訪れるようになったことです。当時横浜港周辺には大使館や商館が点在し西洋人が多く滞在していたことで横浜港近隣の鎌倉地区に自前用のハム、ソーセージをつくらせる工房を持つようになり、その後、原料となる養豚も盛んになっていきました。また、第一次世界大戦に日本が勝利したことで、多くのドイツ人捕虜が日本に来ることになり、その中にいた加工品の技術者によって製法が広まるようになったようです。

それからおよそ1世紀。1960年代後半から70年代、戦後の高度成長期のまっただ中にあった日本では食生活が大きく変化していました。アメリカナイズされた食品が出回るようになり、魚肉をベースに豚の脂やデンプンを加えた安いソーセージが大量生産されていました。当時はAF2(フリルフラマイド)という防腐剤が使われていて、それは今のように冷蔵庫で保管することのなかった時代に、商店の軒先に棚置きされていても腐ることがないほど殺菌力の高いものでした。

その状況に憤慨し、「腐らないハムやソーセージはおかしい。豚肉を冒涜している」と言ったのが、初代社長の曽我達夫。「きちんとした製法で豚肉の味がする本物の腐るソーセージをつくろう」という社長の一声をきっかけに、1971年、ハム・ソーセージ部門を立ち上げることになったのです。1960年にフリーデンの前身である曽我の屋養豚(株)を創業してから10年ほど経った頃でした。

曽我の屋ハム

本物のハム・ソーセージをつくるために、
試行錯誤を繰り返し、本場ドイツスタイルの製造へ。

いよいよ加工部門のスタート!
でも、その当時はすべてが
手探りだったんだって。

藤原:

1971年にハム製造の実験プラントがつくられました。これは、なんと会社の寮の1階の狭いスペースを利用したもの!最初は技術もなく機械も国産のものだったようですが、明治時代に伝わった製法をひも解き、試行錯誤を繰り返しながら、豚肉本来のおいしさを伝える、余分な添加物を使わない本物のハム・ソーセージをつくっていったのです。

私が入社したのが1976年。配属された加工部門はまだまだ手探り状態でしたが、翌1977年には、本場の加工技術を学ぶために初代工場長がドイツへ渡りました。この経験が、今も継承されているフリーデンのハム・ソーセージの本格的な味わいのベースになっています。サイレントカッターやミクロカッター、充填機など本場の機械も次々に購入し、社内で試作を行いながら技術の向上に努めていきました。そして、1979年伊勢原工場を開設。ドイツスタイルの本格的な設備で本格的な加工品製造が始まりました。


ミクロカッターは使いこなせず
お蔵入りしたんだって。
そのエピソードは、
フリーデン・ストーリーvol.2

1980年代、
いいものを届けたいという思いがつながって、
明治屋ストアーとフリーデンがタイアップ

いいものをつくりたい
という気持ちは不変だけど。
製法には紆余曲折が・・・。

何があったのかな?

藤原:

当時、豚肉に水やタンパク質を加えて大量生産する加工品が全盛の時代でした。その中で、フリーデンのこだわりのハムやソーセージは新鮮であり、好意的に受け入れられました。大磯の消費者団体からの要請で、塩と香辛料のみでの完全無添加の加工品もつくり始めました。数年間、完全無添加の加工品と極力添加物を使わない加工品をつくってきましたが、無添加の基準が法律的に変わったことや要請されるアイテムが多様化したことを受けて、完全無添加の製造は中止。余計なものは使用しない、でも豚肉のおいしさを引き出すものは使用する伝統の製法-明治時代の製法に戻ることにしたのです。

時代は、小売店が衰退し、スーパーが成熟してきた1980年代。フリーデンもスーパーへの販路拡大を積極的に行うようになります。品揃えにこだわる高級スーパーが人気を博し、パンや総菜部門に力を入れていました。1981年にフリーデンは明治屋ストアーと提携。玉川高島屋ショッピングセンター内にある「デリベイク明治屋」で、ハム・ソーセージの製造を担当しました。現在も玉川高島屋ショッピングセンターには明治屋ストアーのお店があり、その技術や味わいは継承されています。

理念と伝統を守り、新しい取り組みを。

フリーデンは、理念と伝統を大切にしながら、
新しいことにチャレンジ
してるんだって。

おいしさの理由がわかるかも。

藤原:

1987年、初代工場長から引き継ぎ2代目に就任した私は、「本場の製法を生かしながら、もっとオリジナル性にこだわろう」と商品の見直しを図りました。例えば白いタイプのソーセージやハーブを効かせたソーセージ、辛いタイプのチョリソーなどなど。専門家からは『あれはチョリソーではない』って突っ込まれましたけれどね(笑)。本来はサラミタイプのものを言うので、正しくはチリソーセージなんです。メキシコあたりのソーセージは辛いというイメージがあって、そこから付けたのですが、その後は他社でもチョリソーと名付けるようになって、このネーミングが今ではすっかり定着しています。

その当時に新発売した商品が今もたくさん残っています。ベーコンやロースハムなどは、フリーデンが加工品を始めた頃からあります。もちろん、製造技術・流通・パッケージなどが進化して、当時の商品と全く同じではありません。しかし、基本的なつくり方や、おいしい豚肉をそのまま加工するという理念は何も変わっていません。

フリーデンは、ハム・ソーセージの製造という点では後発メーカーです。1960年代後半から70年代、倍々ゲーム的にソーセージがつくられていった時の量産方式を知りません。だからこそ技術が残ったと言えます。明治時代にドイツ人から日本に伝えられた時の製法と同じようにマイスターの心を持ったつくり方で、ただおいしいハムやソーセージを届けたいという一念でした。そのためには、理念と伝統を守ることが大切です。それが一番おいしいんです。その上で、新たな取り組みを行う。後輩たちも、同じ思いでハム・ソーセージをつくっていると思います。

チョリソーって実は
藤原さんが名付け親!
専門家からは、あれは、チョリソーじゃないって
突っ込まれたらしいけど、
日本では定着しちゃったみたい。

おもしろくない?

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